沖縄を返してほしいと思った

當山 貴史

2010年05月04日 23:53

 小さな頃から基地があるところで育って、

基地の中のクリスマスパーティーや夏のカーニバルを

ロックフェスティバルを楽しみにしながら育った。

ロックの街コザで育ったから、ディープパープルも

当たり前に聴いていた。

 そして、同時に基地の中に住んでる人たちは、金網の中に居て

かわいそうだとも思っていた。

 でも大人になって気付いた事は金網の外側に閉じ込められていた

のは沖縄の人だったという事だった。彼らは僕らの行けない沖縄

の隅々まで行けることを今更ながらに知った。

 基地の中で働いている人々、アメリカ人の夫を持つ姉、その姪っ子

達、一緒に育った混血児たち。僕はその人たちを大事に思ってきた。

 ツアー中、よその街で沖縄のこと、基地の事、辺野古の事を

話すのはスラスラとやれるが、

コザの街、沖縄のステージで話す時ほど矛盾やストレスを

感じることはなかった。
 
 恩納村でライヴをやった時、米兵がフロアに居た。

ステージから『あなたも仕事で兵隊をやってるんだろうけど、

戦争はないほうがいいよな?平和が好きだろ?』

と問うたら彼は沖縄人の彼女のそばでにっこり笑って

『yes』と答えた。

 ライヴが終わったあと彼と話をしたら

『明日イラクに行くんだ』と彼は言った。

目の前に迫るリアリティに胸ぐらを掴まれた。

吐きそうになった。

 もうこんな矛盾のかた結びの上に成り立つ

沖縄ではいけないと思う。

今は亡き大山朝常さんが『沖縄独立宣言』という本を出した時に

なぜだろうと思ったが、

 沖縄の先人たちは、僕が思っているよりはるかに昔から

何万倍も辛い涙をのんだのだろう。

 僕が思うのは

鳩山総理や沖縄県知事があとになって歴史となって語られる頃、

『この人たちが、沖縄の民意を汲み取って米軍基地を無くした本当の功労者』だと

語られるような行動をとって欲しいと今更ながらに思う。

今日という日が巻き戻せるなら、と過去を憂いても始まらない。

 普天間基地、県内移設反対と公然と言えるようになった今を

招いた事にだけは感謝している。
 
鳩山総理の心変わりをもう一度だけ期待する。